■嬬恋村インタープリター会 第4回養成講座を開催 新たに15人のリーダーを認定
<第一日目、11月6日の講座から>
嬬恋村インタープリター会では、同会リーダーを養成する第4回の講座を11月6日から8日の3日間、嬬恋村大前のログコテージ「ふりーたいむ」を会場に開催した。
このうち第一日の6日は、講座1〜3まで行われ、はじめに自然観察大学副学長で、埼玉大学講師の唐沢孝一氏が「自然の理解」ということについて講演。氏は、嬬恋村三原の出身で、現在千葉県市川市に在住し、野鳥研究、特に都市鳥を中心とした都市生物の生態などを探求、数々の成果を上げるとともに、幅広い多数の著書を著している。
こうした立場、経験などから、氏は自然保護の大切さを訴え、「中央の見方」、「地方の見方」の違いが自然保護、環境保護に大きな影響を与えていると語った。はじめて見るやかんを、本来の用途が分からず、「これは兜である」という間違った判断を下してしまうという、アド・ホック、つまり「その場限り」の考え方について説明。中央が便宜的に、地方に対するその場限りの施策を施せば、必ずや、自然からの大きなしっぺ返しが来ると警鐘を鳴らし、地方に残る大事な大事な自然を破壊してしまうという愚を犯してはならないと訴えた。
また、まわりまわって連鎖・循環を繰り返す雄大な自然界の営みについて、いろいろな例を挙げて説明し、その自然界の連鎖の環を断ち切ってはならないと力説。ドイツの哲学者、ハイデッカーの思想に触れ、古来人間は、その自然界からの恵みを「有り難くいただく」という考え方であったと語り、それがいつの間にか、「自然界から取り立てる」という姿勢になってしまい、それが自然破壊の根源になっていると強調した。
さらにトンボの生態にも造詣が深い唐沢氏は、地元嬬恋村でも、珍しい数多くのトンボが生息していると述べ、枯れ枝に擬態して冬を越し、四月ごろ見事なブルーのトンボになって卵を産み死んで行く、「ホソミオツネントンボ」の生態を追究しているとき、故郷・嬬恋村内の水田で、「ホソミオツネントンボ」とは若干種類は違うが、「オツネントンボ」が群生していることをたまたま発見し、「幸運は準備された心に宿る」と、そのときの喜びを語った。
そのほか、様々な珍しいトンボの生態について話があった後、「カオジロトンボ」「ルリイトトンボ」「オオルリボシヤンマ」など、貴重種のトンボが、我々の村内にもまだまだ数多く生息していると強調。 保護の重要性から、その場所は公開することは出来ないが、どのような環境に生息するかは常識であり、一人ひとりがそのことをしっかりと認識して、自然環境を何がなんでも守りきってほしいと要望した。
講座2では、「白根火山と地元学のすすめ」と題して、白根火山を総合調査し、「白根火山」を著して「トヨタ財団第1回『身近な環境を見つめよう研究コンクール』」で金賞を受賞した元嬬恋高校教師の下谷昌幸氏が、今も続けている白根火山の研究について語り、我が古里嬬恋村のことを地元の人間がもっと知ってほしいと呼びかけた。
ここで下谷氏は、最近の研究について、白根周辺にあった硫黄鉱山跡地で緑化実験をしており、その成果が徐々にではあるが出始めたと語った。かつて硫黄鉱山であった周辺は、硫黄精製時の煙害や、精錬カスを埋土したため、土壌の酸性度がPH3・5と高く、ほとんど植物は育たなくなり、永遠に木は生えないとされていた。しかし、小串鉱山で行った精錬カスでの植生実験の結果、カラマツ、ダケカンバなど現地周辺にある木は枯れることなく育ち、平成6年に植えた木が10年後には3メートル以上に生長したと、精錬カス埋土地でも、若干客土すれば、樹木が育つとの結果を報告。70歳を超してもなお衰える事なき研究への情熱が参加者に感動を与えた。
また、多くの人が興味を抱く白根山の湯釜について下谷氏は、昭和58年の水蒸気爆発以前から調査、観測を行ってきており、噴火以前、その面積は約300m×300mだったのが、噴火後は300m×350mと広くなっており、 逆に深さは46mだったのが、噴火時の土砂によって埋まり今では26?と浅くなっている。コバルトブルーの湯釜は、その名前と違って、夏は摂氏28度、冬は摂氏2度で、決して熱い湯ではなく、噴火前は凍結もし、噴火後は全面凍結はしなくなったが、年々凍結面積が広くなってきていると説明。さらに水質は、PH1・4と強酸性だが、人間の皮膚がただれるほどではなく、万座や草津のような強い酸性の温泉に入るのとそれほどちがわないと語った。
このほか、白根山周辺での災害や遭難の記録などについても紹介し、そのほとんどがいまだ詳しい調査が成されておらず、謎として残っている部分が多いと強調。この講座の参加者など地元の若い人たちの「地元学」として、今後なお一層詳しい調査・研究が進められるよう望まれると、強い期待を寄せた。
さらに講座3では、嬬恋村インタープリター会理事で 登山家のYO氏が「登山基礎講座」を担当。氏は、かつて材木関係の会社を営む傍ら日本中の山々にその原木を尋ね歩き、現役引退後も山への情熱は衰えることなく、幾つかの山岳クラブや山の会の責任者として現在730座を越す登頂記録を更新、さらに千座登頂を目指して活躍中だ。
そうした豊かな経験から、まず「安全登山の心得」について講演。近年登山事故が多発する傾向にあり、若い登山者の強行スケジュール、睡眠不足での事故が多いと指摘。しかしながら事故全体の75%は40歳以上の中高年登山者によるものであると強調した。特に50歳を超えると、急激に平衡感覚が衰え、若い頃に比べて危険に直面する確率は格段に増加し、また道に迷う事故が極端に多くなっていると警告した。
こうした事故を防ぐためにも、中高年登山者は、予想以上の年齢の衰えをしっかり自覚し、週2、3回は1〜2時間程度の早歩きでの歩行訓練をするなど、体力保持に勤め参加するようにと訴えた。また、様々な事故例を挙げ、「登山者は、引率者を頼り切ったお任せ登山にならないよう、事前に登山する山の地図等を揃え、よく調べて主体性をもって参加する」「登山は、必ずリーダー、サブリーダーを決めて出発する。必ず登山届けを出し、控えを家族、または友人等に渡しておく」「体力作りから登山装備等の確認、コースの確認、天気予報の確認など、しっかりと事前の準備を整える」などの注意事項を確認しあった。
このほか、各人に登山装備表を渡し、チェックして、それぞれがもっている装備を確認。さらに実際に登山する中で、公の機関などとの連絡、報告の必要が生じた場合のために、主な山の用語についても真剣に研さんしあった。
<第二日目、11月7日の講座から>
2日目は、午前中、CONEトレーナー、日本ネイチャーゲーム協会公認トレーナーで、森林インストラクターの国田裕子さんが、講座4「対象となる参加者のことを知る」、講座5「自然体験活動の理念」を担当。
最初に全員がフィールドに出て、順番に自己紹介しながらまずはストレッチング。そのあと、二人ずつペアを組み、じゃんけんを繰り返しながら、勝った人が落ち葉を拾って、それを確認、次いで、その親木探しをするというゲームを行った。また、ペアを組んだ一方の人が目隠しをし、もう一人の人に手を引かれながら、林の中をを探索し、あとで感想を発表し合うというフィールドワークも楽しんだ。
この中で国田さんは、こうしたフィールドワークが「対象となる参加者を知る」上で、重要な役割をもっていることを指摘。それは、自然の中で起きる様々な出来事に対して、参加者がどのような行動を起こすか、事前に予測しておく必要があるからであり、当然、どのような人が参加しているかを知っておけば、よりよい活動の推進が図れるからであると語った。 また、「自然体験活動の理念」について、まず人間はもともと自然の一部であるということを自覚することこそ重要であると述べ、地球に生きるあらゆる生き物がともに暮らせる持続可能な社会を作り、未来の世代にそれを引き継いでいくことこそ重要であると訴えた。
午後からは、環境省環境カウンセラー、群馬県環境アドバイザーで、プリジェクトワイルド上級講師、ネイチャーゲーム指導員の笛木京子さんが、ネイチャーゲームなどフィールドでの実技を交えながら、適時休憩時間を挟み4時間半にわたって、講座6「自然体験活動の基礎技術」講座7「自然体験活動の指導法」講座8「プログラムの作り方」の授業を繰り広げた。
このうち自然体験を子どもと一緒に楽しむために、指導者としてどのような心構えが必要かを確認。自然体験活動は、自然から受ける感動も大きいが様々な危険をはらんでいることを知らなければならないと強調し、安全対策は「危ない」からと、子どもの行動を制限するより、あらかじめ危険を予測して、危険をなくするか、あるいは緩和する方向で考えることが大事であると述べた。また同時に、万が一の場合の対策を講じ、スタッフとの打ち合わせを徹底しておくようにとも付け加えた。
また、「フィールドマナーを守ろう」ということについても、まず子どもたちに、正しい自然との付き合い方を伝えることが重要であると語り、「ゴミを捨てない」「植物や生き物をむやみに傷つけない」「立ち入り禁止に場所には決して入らない」など最低限のマナーをしっかり伝え、確認し合うことが大事であると訴えた。
<第三日目、11月8日の講座から>
この日は午前九時から、講座9「安全対策1」として、吾妻広域消防署嬬恋分署の救急隊委員による普通救命講習「AED(自動体外式除細動器)の取り扱い方法」を行った。ここでは隊員から、まず「応急手当の重要性」について話があり、傷病者を救命するために?現場に居合わせた人による迅速な119番通報と、速やかな応急手当 ?救急隊員による高度な応急処置と適切な医療機関への搬送 ?医療機関での適切な医療処置、のスムースな連係プレーが欠かせないと強調。
中でも現場での応急手当がいかに重要であるかを訴え、特に心疾患(心筋梗塞や不整脈など)により、突然心臓が止まってしまった人の命を救うためには、心肺蘇生(気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ)を施すとともに、AEDを用いて除細動(電気ショック)を速やかに行うことが、最重要であると述べた。
このあと、参加者一人ひとりが人形を使って、「意識を調べる」「助けを呼ぶ」「気道の確保」「人工呼吸」「心臓マッサージ」などの心肺蘇生法を実施。さらにAEDを実際に使って除細動の研修を行った。
このあと、講座10「安全対策2」として、長年海上自衛隊で隊員の衛生、健康管理の仕事に従事し、現在も、マッサージ指圧師として治療室を開院する一方、蕎麦打ちの「ぐんまの達人」として活躍する当会副会長の小林勝三氏が「現場の応急手当術」を講義した。
この中で小林氏は、もし患者が発生したらどうするかについて語り、まず「慌てず、騒がず、落ち着いて、どんな状況かを把握してほしい」「次に何を成すべきか、手順を適切に決めて対応する」「周囲の状況に気を配りながら安全な場所を確保する」「周りに人がいる場合は、協力を求め、二次災害や感染の防止に努めてほしい」などと要望。
このほか、骨折の見分け方や、その処置の方法、肉離れや脱臼、捻挫の場合の処置について講義し、最後に参加者どうしで、副木の使い方、三角巾や包帯の巻き方、テーピングなどの実地研修を行った。
養成講座の最後は、考古学者で元嬬恋村郷土資料館館長、群馬県文化財保護審議会会長の松島栄治氏が、講座11「人と自然、文化の関わり」を担当。はじめに自分たちが住む古里の歴史・文化について、もっとその意識を高めていってほしいと要望。残念ながら、この嬬恋村の人々の間にはその意識が乏しく感じられ、「我が古里は、自然環境が厳しく、辺境の地」であるが如く感じているのではないかと危惧を吐露した。
この中で松島氏は、「どうせこのような僻地には大した歴史はなく、文化も生まれなかったであろう」という僻地史観の裏側には、「歴史を正しく評価しない」という現実があり、いつまでも貧しい歴史・文化の地として在り続ける以外にないと指摘した。その上で、信州との県境に屹立する「四阿山」(かつては吾妻山であったはず)しかり、「角間山」(かつては小在家山と呼ばれた)しかり、「黒斑山」(三尾根峰だったはず)しかり、名山の幾つかは、いつの間にか、この地で呼ばれ親しまれてきた名が消え、思っても見なかった山名がそのまま国土地理院の地図に公式名として記載されるようになってしまったと無念な思いを口外した。
しかし松島氏は、この嬬恋の地は、決して辺境の地でも、僻地でもないと強調、古くは皇室の御料牧場が存在し、草津温泉への観光の要路であり、信州から沼田、関東方面に通じる交通の要衝でもあったと力説。それは、天明3年の浅間山大噴火の際埋没した鎌原宿の発掘調査でも証明されていると述べ、ある民家からは、当時としては贅沢な板ガラスを使った鏡やガラス製のビーズ、べっ甲細工の小物、厚い漆塗りの椀などが出土しており、意外なほど裕福な地であったことを紹介。歴史・文化を大切にする郷土愛に裏付けられた地元の人たちのなお一層の奮起を促した。
このあと、松島氏は、「嬬恋村の信仰と文化」に触れ、修験道信仰の遺跡が数多く点在することから、修験道の御師(祈祷師)であったと思われる下屋氏が力を強め、嬬恋の地を支配していったであろう経緯を語った。また、万座の、熊と四郎という二匹のイヌが主を救ったという伝説がある「熊四郎岩窟」について、松島氏が実際に足を運んで調査し、その中で発見したという、石に写経した「礫石経」の実物を披露しながら、熊四郎岩窟は、礫石経を積んだ「経塚」であろうとの見解を示した。
養成講座修了に際し、終了式が行われ、嬬恋村インタープリター会の小林勝三
副会長から14人の受講生に当会リーダーの認定書が手渡された。
by IY
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