芋すりおろし作業

− クロコプロジェクト −

2007年11月21日

参加者:土屋会長、住田、黒岩(隆)、黒岩(初)、大島、土田、土屋(澄)、木村

芋をのせて…2007年11月21日、じゃがいものすりおろし作業を行いました。合計で296kgのじゃがいもをすりおろし、147kgの絞りかすが取れました。この絞りかすがくろこの原料となります。作業時間は、芋洗いが8人で1時間、すりおろしが7人で1時間、絞り作業が6.5人で2時間半かかりました。その様子をお伝えいたします。


ケースの重量1.1kg  芋重量を計る  芋とケースで17.1kg

まずログコテージふりーたいむに8:00am集合。すでに掘って取っておいてあるじゃがいもをトラックに積み込み、土屋澄孝さんのお家に向かいました。ここで、じゃがいもの計量と澄孝さん特製の芋洗い器を積んで、別の場所に向かいました。

干俣の名水  芋を洗う澄孝さん  まさに芋洗い状態

芋洗い場所に到着。ここがどこなのか、地元の方はすぐに解りますね?干俣の名水です。先日、黒岩準子理事が代表している干俣の嬬恋村生活改善グループの方々と合同で作業をすることができ、その際に干俣区長の許可をいただいたのです。ここで、澄孝さん特製の芋洗い器をメインに芋洗いを行いました。

芋の選別  芋を切る  傷んだ部分を切り取る

住田さんがきれいな芋と傷んだ芋を分けています。この傷んだ芋を、土屋会長らが最小限を切り捨て、残りはみんな樽の中に入れます。

水を使ってきれいに  洗った芋  じゃがいもの山

芋洗い器  干俣の名水  名水の看板

芋洗い器でゴシゴシ、3回ほど洗ったら、ずいぶんきれいになりました。これをトラックに積みなおしていきます。芋洗い器は、交互に回しただけでしたが、上手に回してやると上の芋が自然と下に沈んでいき、芋が桶の中で上下に循環するようになるのです。この木の組み方がポイントです。また、黒岩準子理事や干俣区長様のお計らいで、大変良い水・良い場所で芋洗いをさせていただきました。誠にありがとうございました。

芋すりおろし開始  これが回って芋を摩る  電動モーター付き

そして再びふりーたいむへ。ここでは、田代のくろこ達人・海野さんが貸してくださった電動すりおろし器が登場します。中央の木箱の中に、突起させたステンレス板を円筒状に仕込んであります。これがモーターで回り、芋を次々に摩っていくのです。これは上手くできています、驚きました!

芋の計量1  芋の計量2  芋が詰まって回らない

この青い篭山盛り一杯で16kgでしたので、これを目安に計量していきます。合計で296kgありました。手動でおろすなら気が遠くなりそうなところなのですが、海野さんの電動すりおろし器のおかげで日没までには終わりそうです…ホッ。しかし、回転させる前に芋を入れてしまったため、初めは詰まって回転しないトラブルに見舞われました。やれやれ。

浅間山と芋摩り  浅間山と芋すりおろし  芋摩る人たち

摩った芋が溜まる  溜まった摩り芋を運ぶ  摩り芋の山

気を取り直して最初に回転させてから芋を入れると、問題なく回転してくれました。見る見るうちに木箱下の樽に摩った芋が溜まっていきます。

芋すりおろし器稼動  重りで抑えている

天井から吊る  止め木が横に

さて、土屋会長、澄孝さんの合作で、かつてのすりおろし器具と手法も再現しました。こちらも順調に稼動しています。芋を上から押さえるのですが、ここに技術があります。角材を天井からぶら下げて重りにしているのです。ストッパーとして止め木を一本入れることで、重りまで摩らないようにしているのです。

摩った芋を綿袋に  初男さん絞る1  初男さん絞る2

澄孝さん絞る  芋絞る人たち

摩った芋を水に溶かしてドロドロになったものを、初男さん手製の綿袋に入れてぎゅうぎゅう絞ります。サラシ(晒し木綿)で作ったそうで、さらしあん(こしあん)を作るときにも使っているそうです。この綿袋を見て住田さんは「これは…天竺サラシね。」と言いました。天竺織りのようです。澄孝さんも手製の綿袋で絞りました。絞ってみて、もっと粗めのもの、例えばレーヨンだとか化学繊維のものや、麻のほうが良いのではないかなどと、いろいろな意見が出ました。しかし昔はサラシしか無かったのではないか…と話しながら作業を進めました。来年は、違う布でも試してみたいと思っています。

肥料袋に入れる  芋の絞りかす

白い泡が浮く  上澄みを捨てる

絞りかすは、きれいに洗った肥料袋の中に入れていきます。このやり方では、澱粉がかなり残っているのでずいぶん白い絞りかすになっています。当然「クロコ」も、澱粉含有量の多いものができることでしょう。樽にいっぱい溜まった絞り汁は、昔の大切な現金収入の「シロコ(澱粉)」が下に沈殿していきます。この上澄み部分を捨て、また水を入れ撹拌し、それを通常4回繰り返して「シロコ」を精製したといいます。かつて村中を流れる水路は、片栗粉製造過程に発生した泡によって覆われたとも伝えられています。(松島榮治シリーズ『嬬恋村の自然と文化』(五十))きっと、大川(今の吾妻川)の魚達も、毎年初冬に大量に流れてくるこの白い泡に手を焼いたことでしょう。


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